こんにちは。
今回は私の好きな菅公、菅原道真の和歌です。(総理大臣じゃないよ(^^))
やましい心を持たず、誠心誠意行動をしているならば、祈りがなくても神様は守ってくれる。
というのが意味になります。しかし、祈らなくても神様は守ってくれる、ともとれてしまう和歌でもあります。
こういうものは、諸説あるものが多いのですが、実は菅公はとても真面目な方で、平安時代の貴族や政治の腐敗や庶民の生活などについても真剣に考える方でした。
その中で、考えもなくとりあえず祈りを捧げる貴族や僧侶に対しての嫌味もこもっているという説があります。
何もせずに、ダラダラ生きて、ただ信仰にすがるだけ、もしくは形式的な祈りなどは意味がないということでしょうか。
当の菅原道真は今や天神様になってしまい祈られる立場ですが、どう思っているのでしょうか。
漫画『応天の門』での菅原道真が私は大好きなのですが、彼ならば
『は?勉強もせずに祈りだけ来たのですか?ありえないです。帰って勉強したら?』とか言うかもしれませんね。笑
私なりの解釈としては
しっかり誠心誠意行動した上で、祈れば、神様はさらに気にかけてくれるのではないかと思うようにしています。
受験生であれば、まずは学ぶこと、最後の心の拠り所として天神様がいらっしゃると考えるとよいのではないでしょうか。